老婆100's <青春>

物語いろいろ、人生道草

人混み

昼下がり無性にパフェを食べたいと思った。

息子がダイエットしている最中、傍らで食事をするのは気が引ける。なんとなくお腹が満たされない感じで甘いものが食べたいと思った。コロナ禍で孫を誘えないので一人でふらりと駅ビルへと向かった。

改札前を大勢の人が行き交っている。呼吸を殺し合間を縫って進んだ。商業施設のエスカレーターには乗る人達で長い列が出来ていた。エレベータも満員、目的のレストランを覗くと3時過ぎだというのにほぼ席は埋まっていた。パフェは諦めて比較的空いているお店で、みたらし団子とコーヒーでひとまず欲求を満たしたが落ち着かなかった。

セーターを買おうとお店を覗いたら、レジ待ちで長蛇の列だ。

老婆は、急にコロナ感染が気になった。用心のために不織布、布マスクを重ねて対応はしているが、感染して迷惑をかけないよう高齢者は自粛していなくてはいけない。買い物もしないで早々に帰宅した。

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昭和館を訪れて

初めて訪れた昭和館の一階ニュースシアターでは、戦争当時の戦況報道を再現していた。スポーツの勝敗に熱狂するかのような語りに、国民が一喜一憂していたのだろうか。
6階7階の常設展示室では、幼い頃見覚えのある本やおもちゃ、紙芝居、かまどや給食、食べ物などが展示されていた。関心ある当時の授業状況やバラックの生活、仕事を求める人達,寒い冬、外で蓆を被って寝る人達等の映像を見ることが出来た。
老婆は終戦の8月と同じくして母の胎内に宿った計算になる。廃墟の中で必死に生きようとする時代に誕生したのだ。物心つく頃も復興はまだまだ隅々迄には至っていない様子だ。こんな時代に子供を育てる親の苦労は並大抵ではなかったと改めて感謝した。図書を閲覧する時間が無かったので再度訪館して当時を詳しく知りたいと思う。
家に帰りついた時、友の訃報が届いた。逝くには早すぎると気持ちが塞いだ。菫の映像を手向けたい。

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太陽を隠す雲

在宅勤務の今日、空は雲一つない快晴だ。

南の窓から入り込む光は暖かい。急ぎの仕事をかたずけて遅めの洗濯をした。どうしても明日必要なスポーツウエアなので乾かしたい。この日差しなのでに乾くと踏んで買い物に出かけた。

バスを待っていると雲が張り出し太陽をすっぽり隠した。日が短いので早く抜けてくれることを願った。目的地について見上げてみても光は遮られていて、そして寒い。結局雲の量は増えて二度と太陽は顔を見せてくれなかった。

空模様が気にかかる一日だった。

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- 芒 -28.ねえやの台湾

税関長宅の仕事と生活が始まった。

キヨは”ねえや”と呼ばれ、台所側の一室をあてがわれた。果物や野菜類など食品の置き場を兼ねていた。奥様は、着の身着のままの見苦しいキヨに、ミシンで手早くワンピースとフリルのついたエプロンを仕立てて着替えさせた。屋内の仕事がキヨの役割だった。不慣れな環境と、年端がいかない事もあり失敗の連続だった。奥様は、怒ることなく根気よく指導してくれたので救われた。キヨには、一生懸命頑張ろうという直向きな気持ちが芽生えていった。大量のアイロンかけが辛かった。掃除は塵ひとつ見逃してはならない。糠袋で廊下をピカピカにした。窓ガラスも透き通るように磨いた。人との応対の仕方や、言葉使いを厳しく躾けられた。これまでに聞いたことも無い「かしこまりました」「お召し上がりくださいませ」「いらっしゃいませ」「お待ちくださいませ」などの言葉を教えられ、キヨが使っていた方言や雑な言葉は徹底して直された。来客が多く、ひざまずいてお盆で名刺を頂き、許可を得てから案内した。キヨの部屋の壁には、飲み物、お菓子類の名前が書かれたカードがぶら下がっていて、鈴で合図があった飲み物とそれに沿えるお菓子を用意して来客に丁寧に差し出した。
食事の支度を手伝い、配膳や後かたずけを行った。メインのおかずは奥様自ら料理した。
食堂では家族で、キヨは台所のテーブルで家族の様子を伺いながら食事した。
キヨは、これまで人目を気にしながら少ししか食べていない事を主張しながらこそこそ食べていた習慣から、税関長宅でも、おかずを数品減らしたり少な目に装って食べた。時々、奥様が傍に来て、キヨの食べ物を確認した。「ねえや!食べるものはみんなと同じように食べて下さい。」と、叱った。人の温かさに触れることが希薄だった為のキヨの闘争的で尖った気性が、次第に和らいでいた。こけていた頬にもふっくらと肉付きが良くなっていった。
続く・・・

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- 芒 -27.母親の青春

キヨの生活は変わらなかった。

水汲み、洗濯、畑の手伝いの合間に、いとこ達が使わなくなった本で少しずつ字を覚えていった。心のどこかで、無学であることに焦りを感じていた。いつかは父親が迎えに来てくれる、と心待ちにして10年が経とうとしていた。親戚の中に警察官がいて時々顔を見せていた。常々、キヨの状況を気にかけていた。16歳になったキヨに働き先を世話してくれることになり、その警察官に連れられて台湾に渡った。

台湾は、日清戦争後(1895年4月)、清国が日本に割譲した。植民地統治(1859年~1945年)を開始した日本は、土地改革、ライフライン、アヘン中毒撲滅、学校教育の普及、産業の育成で台湾の近代化を推進していた。

キヨは、警察官の口利きで、税関長宅の女中として働くことになった。住まいは洋館で、ご主人は日本人、奥様はアメリカ人と日本人のハーフで、日本語の美しい言葉を流暢に話す夫人だった。応接間で、警察官に挨拶を促されたキヨは、田舎者丸出しで座り込み、頭を床につけた。緊張でガタガタ震えて言葉が出なかった。奥様が「椅子におかけなさい」と、優しく肩に手を添えてくれた。こうしてキヨは、右も左もわからない台湾での生活が始まり、仕えるご夫妻や訪問客との出会により、身心供に成長し、青春を迎えることになる。

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夜明け前

今朝5時ごろ、老犬の催促により散歩に出た。

冬のこの時間は真っ暗で、スマホのライトを頼りに川沿いを歩いた。不意に、無灯の自転車が 勢いよく擦れ違がった。驚いた老婆は「無灯は違反でしょ!」と、心の中で怒りながら、老犬の行きたい方へ引っ張られて進んだ。

ふと東の空を見上げると、細い月と金星が僅差に並んで輝いている。朝っぱらのイライラが吹っ飛び、”美しい!” と 感動した。ゆったりと織りなす宇宙空間の移り変わりを、今日は近所の家々が目覚めていない中で、老婆一人が目撃出来た という独りよがりの優越感に浸った。それも散歩が終わる頃には雲に隠れてしまったので、束の間の幸運を掴んだようにも思えた。

ネットで調べてみると、今夜から明朝にかけて、新月となる好条件の中で、ふたご座流星群が見られるという。また木星と土星が接近するそうだ。雲がかからないことを願って眺めようと決めた。
老婆はスマホの撮影技術が下手なので、月と金星の寄り添い を撮れなくて残念に思った。
かわりに枯草の中で 密かに存在を主張している小花を愛でてあけたい。

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- 芒 -26.学校へ行けない子供の頃の母親

大好きな祖母が亡くなり、キヨは親戚の家に預けられた。

そこでの生活は厄介者扱いだつた。幼いキヨに、十分な食べ物も与えず、井戸水を汲ませる仕事をさせた。いとこ達に、よく殴られたり、食べ物を見せつけられたり、芋の皮だけを放り投げられたりするなどの意地悪をされた。一緒にご飯を食べさせてもらえず、板の間でひとり少ない芋粥等を食べた。
一年生入学の歳になっても学校へ行かせようとはしなかったため、学校の先生が、キヨを入学させるよう、親戚に談判しに来たそうだ。キヨはノートと鉛筆を与えられて学校へ行くことになった。学用品は不十分ながら勉強できることが嬉しかった。木枝で、地面に字を書いて覚え、本は貪り読んだ。覚えが早く頭が良かったそうだ。しかし教科書などの勉強するための必需品を買ってもらえないため二年生迄しか行くことが出来なかったという。
学校の運動場に井戸があり、そこへ水汲みに行かなければならない。授業をしている時は、校舎の窓の外で先生の話に聞き入り、黒板に書いてあるものを覗き込んだ。休み時間は、生徒たちにジロジロ見られ、時には囃し立てる男子と取っ組み合いの喧嘩をした。キヨは自分が、蔑まれること、邪魔者扱いされることに対し怒りを覚え、だんだん気性が荒くなり出した。
親戚の家は、比較的豊かで、傍ら万屋も営んでいた。キヨは、お腹がすくため夜中に駄菓子を盗み食べた。犯人はキヨだとわかるため、翌日は、お仕置きされ棒で叩かれた。それでも盗み食いは止められない。怒られそうになると逃げた。捕まえられては叩かれる繰り返しだったそうだ。
キヨの開き直りはエスカレートした。売り物の砂糖を舐め散らかして周りをベトベトにしたり、夜、外にある便所へ行くのが怖いため、土間に糞尿をして親戚をてこずらせた。
その後は「糞たれおキヨ!」の不名誉な悪名で呼ばれ続けた。

続く・・・

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