老婆100's <青春>

物語いろいろ、人生道草

小説-芒-

-芒-34.懐かしいお父さん

きいるん(基隆)港は、日本統治時、小さな漁村だった。明治33年に築港が計画され、治水事業、橋梁建設、湾口に向けて、平行・垂直に道路も整備され、美しい街並み、商店が立ち並び台湾随一の景観を誇った。(軍事要塞でもあり戦時中空襲の的となり破壊されるこ…

-芒-33.父を頼りに内地へ

キヨと千恵の住込み生活が始まった。仕事は早朝の仕込みから深夜の片付けまで休む暇もなく過酷だった。特に田舎者の千恵は、仕事になかなか馴染めず手際は悪く、店主に四六時中厄介者のように怒鳴られていた。同僚からも「役立たず」などと虐められた。 キヨ…

-芒-32.妹との再会

その後、妹の千恵は、キヨを頼って台湾に来ることになった。警察官と港へ迎えに行った。船から降りてくる人達を目で追った。遠目でもその風貌に、お互いが”確かだ”と確信した。大人になった妹との再会、懐かしさが込み上げてくる。 「姉さん!」妹は泣きなが…

-芒-31.妹の病気

親戚の警察官は、時々キヨの様子を見に来ていた。ある日、その警察官から、幼少の頃両親の離婚で離ればなれになっていた母親の病死が伝えられた。母方に引き取られた妹の千恵が、マラリアに罹って苦しんでいる事や、キヨに会いたがっていることも知った。 天…

-芒-30.ねえやの娯楽

キヨが渡った頃の台湾では、台湾人の日本語使用推進で各地に講習所を設け徹底されていた。台湾の児童の就学率は71%、日本の児童は90%を超える世界でも高い就学率を実現していたという。(8歳以上14歳未満の6年間の義務教育) キヨは一人で外出することは許され…

- 芒 -29.ねえやの恥じらい

キヨは、仕事や来客の対応に大分慣れて手際が良くなっていた。時には深夜になることもあるが鈴で呼ばれたらすぐ動けるよう台所で待機していた。 税関長宅では、演奏会やダンスパーティーなどがよく催されて多くの人が集まった。親しい方々や部下のようだ。こ…

- 芒 -28.ねえやの台湾

税関長宅の仕事と生活が始まった。 キヨは”ねえや”と呼ばれ、台所側の一室をあてがわれた。果物や野菜類など食品の置き場を兼ねていた。奥様は、着の身着のままの見苦しいキヨに、ミシンで手早くワンピースとフリルのついたエプロンを仕立てて着替えさせた。…

- 芒 -27.母親の青春

キヨの生活は変わらなかった。 水汲み、洗濯、畑の手伝いの合間に、いとこ達が使わなくなった本で少しずつ字を覚えていった。心のどこかで、無学であることに焦りを感じていた。いつかは父親が迎えに来てくれる、と心待ちにして10年が経とうとしていた。親戚…

- 芒 -26.学校へ行けない子供の頃の母親

大好きな祖母が亡くなり、キヨは親戚の家に預けられた。 そこでの生活は厄介者扱いだつた。幼いキヨに、十分な食べ物も与えず、井戸水を汲ませる仕事をさせた。いとこ達に、よく殴られたり、食べ物を見せつけられたり、芋の皮だけを放り投げられたりするなど…

- 芒 -25.母親の幼少期

母親はキヨという。 キヨの子供のころは不幸の連続だったそうだ。キヨの両親は、一歳に満たない妹を帯紐で括り、片方の帯紐を柱に結びつけ土間に落ちないようにして、当時三歳のキヨに子守りを頼んで畑仕事をしていたという。キヨは見様見真似のままごと遊び…

- 芒 -24.隣の部屋のおじさん

間貸しをしているおじさんは、障子を隔てた向こうの部屋で寝起きしている。 ラジオを良く聞いている。童謡や歌謡曲が聞こえると、まり子は聞き耳をたてた。 ”月がとっても青いから~遠回りして帰ろ~♪”の歌が大好きで、流れてくるとワクワクして声を出して歌…

- 芒 -23.ジャンパー

まり子が同級生を庇って男の子と喧嘩したことは、たちまち部落中に広がったようだ。 日本人でありながら朝鮮の子を助けたという事で、ヒーロー視されたのだと思う。次第に学校へ一緒に行く人数が増え、長距離の通学路では、まり子を中心にお喋りに花が咲いた…

- 芒 -22.シラミとDDT散布

学校では、DDTを散布するためクラス別に生徒を運動場に集めた。髪に白い粉をかけてシラミを退治するためだ。その時は、頭髪が真っ白になる事を 皆で面白がった。シラミは人に寄生して 発疹チフス等の伝染病を媒体する恐れがあるという。シラミが皮膚を刺すと…

- 芒 -21.ガード下の靴磨き

生活保護を受ける事が出来てひと息ついたとはいえ、食べることがやっとのような気がした。給付されたお金で、待望の雨靴と傘を買ってもらった。母親は、運動靴も底が擦り切れて穴が開いているので買い替えてくれた。そのようなものを買った為に、お金が減る…

- 芒 -20.生活保護

給食費や他の集金が長い間滞っているため、まり子は給食が受けられなくなった、先生は「明日から弁当を持って来てね」とまり子の耳元に小声で言った。母親は、芋やメリケン粉を水で練って焼いた代用食など、何とか工面してくれた。昔粗末な弁当で恥ずかしい…

- 芒 -19.朝鮮人のクラスメイト

クラスには同じ部落に住む同級生がいた。広い範囲に及ぶ部落なので、遊ぶ事も話す機会もなかった。通学時に見かけて気にはなっていた。クラスでは男の子に「おまえくさい!」「シラミがうつるから向こうに行け!」などと揶揄われるのを度々見かけた。泣いて…

-芒-18.鉄屑拾い

部落には貧しい人たちが肩を寄せ合って生きていた。 リヤカーを引いて鉄、紙、布屑などを拾い歩くバタヤといわれる人や、日雇い、船乗りなどの仕事を耳にした。女、子供たちは、近くの倉庫が立ち並ぶ岸壁で、監視人の目を盗んでは荷下しからの落ちこぼれを拾…

- 芒 -17.穴掘り・事故

母親は、男達に混じって穴掘りに明け暮れた。特に女であるため後ろ指刺されまいと男以上の仕事を熟そうとした。掘って出てくる土は、穴の両脇にバランスよく積み上げられ山となり限界になると一輪車で運び出される。山は穴の中にいると背丈以上となり生き埋…

- 芒 -16.雨降り

母親は雨で仕事を休んでいた。まり子は母親が居てくれる事が嬉しかった。前借りをして溜まった集金、給食費など、各々集金袋にお金を入れてくれた。「落とさないように!」と何度も念を押された。 まり子は雨の日は友達と学校に行かない。傘や雨靴が無いので…

- 芒 -15.疲労困憊

モンペに地下足袋姿の母親は、早朝から夜遅くまで土方仕事で明け暮れる。 つるはしを振り上げ力一杯地面を叩いて土を解しスコップで掬い揚げ、深く掘り下げながら距離を伸ばしていく仕事だ。穴の深さは自分の背丈以上になる事もあるという。過酷な力仕事は母…

- 芒 -14.穴掘り

特に敗戦後のGHQによる占領下の時代では、誰もが生き抜くために廃墟と化した中から乏しい食料を必死に求めていたという。母親も有りっ丈の着物、持ち物を、食べる物に変えて凌いできた苦労話をよくする。明日はどうしようかと思いあぐねて絶望的になり死…

- 芒 -13.立退きと解雇

母親の魚箱作りは正確な釘打ちで箱の出来栄えが良く、時間当たりの出来高も高く、女だてらにと評判が良かった。配給のお米を買うことが出来るようになっていた。お腹一杯は無理にしても食べる事ができた。 そうしてやっと掴んだ、貧しいながらも安定した生活…

- 芒 -12.立退きの不安

不法に占拠しているこの部落に、立退きの話が進めせれているようだった。 行き場が無く住み着いている人々は、勿論、挙って断固反対しているようだ。 まり子が住む箱作りの場所も対象である。 特に仕事場として占拠している事が問題だという。早い段階での立…

- 芒 -11.先生の言葉

二年生も終わりを迎える頃、クラスの中ではまだ消極的なまり子だった。 昼休みは運動場で遊ぶようになっているがいつも一人でいた。すべり台、ブランコ、シーソー等の遊具があるところは大勢が集っていてとても入れなかった。縄跳びやドッチボール、追っかけ…

- 芒 -10.貧しい人々

まり子が過ごす朝鮮人部落の人々の生活は貧しかった。 周囲の人達は、ニコヨン、廃品回収、魚捕獲網作り、屑鉄集め等を生業としていた。岸壁で貨物船の陸揚げがあるときは、零れ落ちる小麦、砂糖などを拾い集めた。海で魚釣りをして凌いでいるようだった。 …

- 芒 -9.朝鮮人部落

住み始めた家の辺りの様子に慣れてきた。 古ぼけたトタン屋根、壁をトタンで覆ったバラックが密集して大勢の人が暮らしていた。隣近所からは朝鮮語で喧嘩をしているような騒々しい会話が筒抜けてくる。 母親から朝鮮部落と聞かされた。 便所は共同で3分くら…

- 芒 -8.給食

机2台を横につけ合わせて男子と女子が並ぶ。 まり子は一番後ろの空いてる席に身を屈めるように座った。隣の男子が気にかかった。からかわれる事を恐れ、声をかけないで、と願った。 授業が始まり、筆箱、新しいノートを机の上に用意した。前の学校で使って…

- 芒 -7.新しい生活

雪がチラつく冬が訪れていた。魚河岸用の箱作りは順調に見えた。高く積み上げられてゆく箱に埋もれて働く母親の姿を目にした。暴力に怯えず母子二人で暮らせる事に安堵していた。夜も一緒に寝た。まり子の冷たい足を母の足で挟んで暖めてくれた。手がヒビ切…

- 芒 -6.新しい町

暴力が絶えないおじさんから逃れる事となった。事情は分からないが母親の仕事を誰かが斡旋してくれたようだ。 まり子は、ヒビ切れてゆく花柄のランドセルに自分の物を詰込み、母親に手を引かれて汽車に乗った。窓から入る煙の煤で鼻を汚した。 行き着いたと…

- 芒 -5.運動会とノートと鉛筆

おじさんに怯える暗い生活は続いていた。 母親のわずかな稼ぎは、ヒモおじさんの煙草代、酒代に費やされているように思えた。煙草が買えない時は、「吸い殻を拾って来い!」と命令されることもあった。 まり子はいつもお腹がすいていた。吸い殻をはじめ、食べ…