老婆100's <青春>

物語いろいろ、人生道草

- 芒 - 2.知らないおじさん

 昭和天皇が人間宣言を行い、日本国憲法が公布された昭和21年にまり子は誕生した。戦後の混乱さなか、復興への微かな灯とともに成長することになるが長い茨の道が待ち受ける。

公園のベンチや他人の家の軒先で体を休めることが続いていたが、ある日、ようやく屋根の下で寝ることが出来た。

しかしふと気づくとそこに知らないおじさんがいる。
電灯は点いておらずローソクの明かりでぼんやり様子がわかった。タバコをふかしているようだ。眉間の濠が深く、怒っている印象で怖かった。また裕福な人とはとても思えなかった。

なぜこの人の家で寝るようになったのか最初はわからなかったが、そのうちに想像できるようになった。母親はその人に懐いてもらいたかったのだろう。なにかにつけ挨拶しなさいといわれたが、まり子はなかなかできず、「お早うございます」「お休みなさい」「有難うございます」といった類の言葉しか交わせなかった。そのうちに、おじさんの事をお父さんと呼ぶように言われるが、いつまでも呼べないでいた。

きっと可愛くない子供だと思われていただろう。

その家では、一日一回うすい芋粥のようなものばかりを食べていた記憶しかない。鮮明なのは、片栗粉をお湯でとき固めたものが出された時、それだけは苦手で呑み込めず吐き出してしまった事だ。おじさんに気を使ってか、母親から酷く怒られた。今でも片栗粉は苦手だ。何日も食べられない事もあった。空腹が続くと、横たわり、身の置き場のないほど怠かった。

当時、石炭の運び屋として女・子供にでもやれる仕事があったようだ。母親は暗いうちから稼ぎに出かけており目が覚めたらいつも居ない。まり子の横にはいつもおじさんが寝ていた。
今で言う、ヒモおじさんなのだろうか?母親が仕事で不在の時には、おじさんはやたらとまり子を撫でようとした。
子守のつもりなのか、いかがわしいのかわからないが、母親に言うな、という。
気味悪いが、我慢した。

時間の経過は定かでないが、ある日、母親が病気にかかり仕事へ行けなくなった。
乳房の出来物が膿んで熱があるようだ。食べ物に事欠く為、医者にはとてもかかれる状況ではなかった。

その辺りからだ。ヒモおじさんが豹変したのは。

母親を怒鳴る、暴力を振る、逃げると追いかける。まり子も怖くて逃げまわり、身を潜め隠れた。

この時、まり子はまだ未就学児だった。  続く・・・・

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