老婆100's <青春>

物語いろいろ、人生道草

- 芒 -10.貧しい人々

まり子が過ごす朝鮮人部落の人々の生活は貧しかった。

周囲の人達は、ニコヨン、廃品回収、魚捕獲網作り、屑鉄集め等を生業としていた。岸壁で貨物船の陸揚げがあるときは、零れ落ちる小麦、砂糖などを拾い集めた。海で魚釣りをして凌いでいるようだった。

ニコヨンという言葉を度々耳にした。

職業安定所に列びその日の仕事を求める日雇労働者の事だ。土木、建築、港湾等で力仕事に従事した。日当は、百円札2枚と拾円札4枚の240円ということからニコヨンというらしい(米一升180円位の時代) 。 仕事にありつけない事も多かったという。雨が5日も降ったら仕事は皆無で食べる事が出来ないという究極的な生活をしていた。

戦後、朝鮮へ帰国できなかった貧しい人達が、海岸べりに不法に住み着き増えて行き大きな部落となったようだ。その中には、戦争で傷ついた復員兵もいて、手や足が無く、白い服を着て物乞いをするために松葉杖で支えて町場へ行く人も交じっていた。

まり子は一緒に通学する友達や、この部落に住んでいる子供たちが、貧しいという点では似たような境遇であることに親近感が芽生えていた。

通学時は会話が弾んだ。「一緒に帰ろう」「帰ったらゴム飛びしよう」など遊びも誘ってくれるようになった。まり子と一緒のときは日本語で話してくれるが、他の子と朝鮮語で会話している時は、少々気になった。

そんな中で覚える事もあった。お父さんの事を(アボジ・아버지)お母さんのことを(オモニ・어머니)と言うそうだ。子供同士の繋がりが増えてゆき、缶蹴り、縄跳び、かごめかごめ、チャンバラ、お姫様ごっこ、雨の日はお手玉、おはじきなどの遊びも増えた。まり子は、学校での生活にも慣れた。苛めで苦しむことは無くなったが、持ち物や身なりの見窄らしさが気になる女の子になっていた。

続く・・・

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