老婆100's <青春>

物語いろいろ、人生道草

- 芒 -20.生活保護

給食費や他の集金が長い間滞っているため、まり子は給食が受けられなくなった、先生は「明日から弁当を持って来てね」とまり子の耳元に小声で言った。母親は、芋やメリケン粉を水で練って焼いた代用食など、何とか工面してくれた。昔粗末な弁当で恥ずかしい思いをしたことが頭を過ぎり、こっそりと食べた。弁当を持たせてもらえない時は、給食の時間になると、運動場に出て隅っこで目立たないようにしていた。運動場に出てはいけない時間だけど、先生は黙認していた。給食を済ませた子供たちが我先に運動場へ飛び出して来るのが見えたら、まり子も鉄棒の場所をいち早く確保し、空腹を隠して遊び始めた。

三年の二学期が終わろうとしている頃、担任の先生が母親を訪ねてきた。体調が悪い母親は、粗末な家に先生を通せず、布団から起き上がり外に出て長い時間立ち話しをしていた。母親は、先生が用意してきた書類を受け取っていた。

 

戦後制定された日本国憲法(1946年)第25条1項で「健康で文化的な最低限度の生活」の権利が保障されたことにより旧生活保護法(1946年)から新たに生活保護法(1950年)が制定され、生活困窮に陥った人の救済や各福祉のが制度化された。

 

先生は、まり子親子の境遇を鑑みて生活保護を受けることを勧めてくれたのだ。母親は病体を押して手続きを済ませた。これにより、給食や学用品、学校で掛かる費用や医療費がただになった。まり子は給食が食べられるようになり、学用品も先生に言えば与えてくれた。母親のコケていた頬も少しふっくらしたような気がする。医者にも行けて元気を取り戻している。

続く・・・

f:id:roba100:20201126052007j:plain