間貸しをしているおじさんは、障子を隔てた向こうの部屋で寝起きしている。
ラジオを良く聞いている。童謡や歌謡曲が聞こえると、まり子は聞き耳をたてた。
”月がとっても青いから~遠回りして帰ろ~♪”の歌が大好きで、流れてくるとワクワクして声を出して歌ったりした。美空ひばりや三橋美智也も流行っていた。隣の部屋のおじさんは歌謡曲の時間はラジオの音を少し大きくしてくれる。きっと私達に聞かせるために配慮してくれたのだ。
この頃母親ともよく話をしている。意気投合しているようだ。土木の仕事を続けていて、まり子が寝るまでには帰っていないことが多かった。ふと気づくと母親とおじさんは夜更け迄話し込んでいることもあった。
しばらくは穏やかな日々が続き学校は春休みとなった。母親の体調もだいぶ良くなり、隣近所の行き来や、物の貸し借りも出来るような間柄になっていた。まり子親子は、国の違いは感じられないほど朝鮮部落の一員となっていった。羽振りの良い鉄屑屋のご主人が、奥さんの体調が思わしくないので、一歳の子供の面倒を見てほしい、と母親に頼みに来た。母親は子守りをするようになり、謝礼として、ラジオを買ってくれたり、まり子には水色のワンピースをくれた。時には家族日帰りの旅行に、まり子親子を誘うなど親切にしてもらえた。
隣の部屋のおじさんは、土木仕事が終わり、次の仕事は水夫として船に乗るのでしばらく留守になると、母親に話していた。
続く・・・