老婆100's <青春>

物語いろいろ、人生道草

-芒-30.ねえやの娯楽

キヨが渡った頃の台湾では、台湾人の日本語使用推進で各地に講習所を設け徹底されていた。台湾の児童の就学率は71%、日本の児童は90%を超える世界でも高い就学率を実現していたという。(8歳以上14歳未満の6年間の義務教育)

キヨは一人で外出することは許されなかった。日本が統治しているといっても異国民の地であり抗日輩の出没の心配もある事から厳しく止められていた。買い物の時は必ず車を出してくれた。

街を見るのは買い物に出る時だけだった。市場では、現地の人との接触や言葉で困ることは無く、必要なものは買い求めることが出来た。

税関長の家からは海が見渡せて、軍艦が入港するときは軍艦マーチが鳴り響き胸が高鳴った。キヨは、島のこの光景を見渡すのが好きだった。

ある日、奥様から「ねえや、たまには映画を見ていらっしゃい」と勧められた。

「車で送り迎えをさせます。終わったら出口で動かないで待っていてくださいね」と念を押された。好奇心はあるものの初めて行く映画館なのでたまらなく不安だった。

初老の日本人運転手は、穏やかな言葉使いをするので、いつも安らかな心持ちで車に乗れた。運転手は、到着すると映画館の出入り口まで案内してくれた。

キヨは生まれて初めて映画を見た。暗くて大きなスクリーンに映る迫力ある演技に興奮した。数日、映像を思い出し余韻が覚めなかった。

キヨの仕事は、朝早くから深夜に至ることもあり休日は無い。それでもわずかな時間で雑誌を楽しみながら文字を覚え、ギターやハーモニカの練習を通して来客者との会話を弾ませ、映画観賞もさせてもらえた。キヨは女中でありながら家族の一員としての扱いに深く感謝していた。

続く・・・

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